レンダースのあゆみ

2006年8月 7日 (月)

激戦区ゆえの賭け レンダース本史 第3話

湘南は音楽の情報発信を行うアーティストが、人口のわりには多いしと思うし、質も高い。特に、気候も似ててハワイアン好適地であり、超激戦区といえます。ここで、他のバンドと同じことをやっていると、実は結構それも楽しいのですが、確実に埋もれてしまう。差別化できなければ表現する意味は無い、レンダースの転機にあって、岩本が三橋に熱く語りました。

そこまで志を高くすればバンドとして空中分解の危険すらあるでしょうに、でもそこは、岩本の人となり、退けない一線ということでしょう。

それ以来、後からあとから、新曲が生まれてくるのですが、これは覚えるのに苦労しました。そのうえ、次第に曲の難度が高くなってくるのです。二人のヴォーカルに合った曲を作り分けるのですから、そりゃ作るほうも大変ですけど。

曲を作ろうと意識してしまうと全く浮かんでこないのに、突然、仕事の最中等に「これだ」というフレーズが湧いてくる。それで一旦軌道に乗ると、面白いように次から次へと。そういう創作活動の御しがたい面は、作家さん等の裏話にもよく出てきますね。

ちなみに、こうして作られたオリジナル曲数はとっくに二百曲を超えていますが、湘南道路(Route134)にちなんで、レパートリを常時134曲に絞り込み、適宜入換えをします。言ってみれば、美術館の絵の展示替えのような感じです。

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2006年8月 5日 (土)

ジャズハワイアンからハワイアンポップスへ レンダース本史 第2話

レンダースが誕生してから5~6年、ちょうど世紀末にさしかかる頃、レンダースも転機を迎えます。

それまで、レンダースの音楽は『ジャズハワイアン』と銘打っておりました。Yahoo! Japan カテゴリでジャズハワイアンバンドとして紹介されているのは、レンダースのホームページを最初にYahoo!に登録した時代、20世紀のレンダースの名残りですね。

当時、ジャズ好きのメンバーが多かったこともあって、ラテン、ハワイアン、色々アレンジして演奏していました。ところが、どうも「起承転結」をキッチリとできないところが満足できない。端的に言えば、音楽性に行き詰まってしまっていたのです。

岩本がオリジナル曲を持ってきたのは、その頃。内容は、いわゆる熟年夫婦の男性側から見た「ラブソング」に近い詩、そしてワルツ。記念すべき曲のタイトルは、「二人の時」。

次に作った曲が、湘南をモチーフにというか、「狂った果実」の石原裕次郎をイメージした、非常に難度の高い曲。スローバラードの曲名は「なぎさ」。レンダースのヴォーカル2人にはちょっと手を出しかねる、幻の名曲。今のところ「ステージ」で唄えるのは、ただ一人、岩本自信。そういえばクラシックで、作曲者しか弾けないピアノ曲、なんて逸話もあったような。

このようにして、少しづつ、茅ヶ崎や湘南を意識した楽曲が誕生するようになってきたわけです。21世紀生まれ、『ハワイアンポップス』のオリジナル曲です。続きは、また。


あ、ところで今日は、18時から茅ヶ崎館ライブ、そして19時20分から花火大会。ぜひ茅ヶ崎サザンビーチ方面、特に茅ヶ崎館へ遊びにいらして下さいね。歴史の宿、茅ヶ崎館で見る花火も、なかなか粋ですよ。

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2006年8月 2日 (水)

レンダース憲章 レンダース本史 第1話

今日から、レンダース本史について、紹介させていただきます。まあ、本史、といっても、時間軸に沿ってエピソードを並べてゆくわけではありません。小説として巧妙に計算された順序、というよりはメンバーの思いつくままに、10年の歴史の万華鏡、くる~りくるりと回してゆきたいと存じます。

まず、わかりやすいところから、レンダース(オキテ)です。黎明期の苦い経験から、レンダースを運営してゆくにあたり、決め事、ルールを決めようということになりました。その4箇条。

  • 第1条 : 気帯び禁止

如何なるときも、酒気をおびてプレイしてはならない。その時点で即退団。(楽器没収もありうる。)

  • 第2条 : 時間厳守

都合で遅れるときは必ず連絡を入れること。

  • 第3条 : 退団条項

退団のときは、自分より技量の上のメンバーを紹介すること。

  • 第4条 : 女子禁制

女性はレギュラーメンバーとして認めない。

学生サークルのノリだと早々に全部骨抜きになりそうな内容ですが、長年続けてゆくにはこういうシンプルなルールが必要ということです。

そう書いてきて、酒飲んでブログ書いてる自分は1条的に大丈夫かと。また、女性の取り合いを避ける目的と思って俺は4条を書いてるが、実は、女性に取り合いされるリスクを避ける目的だよとか言われたら、どう平静を装うかとか。さらに、俺より上手い奴はごまんといるが、某兄者より上手いやつなんて見つかるわけないよな、とか。ごくごくシンプルなルールも、考え出すと、結構味わいがあるもので。

今振り返ると、最初の2~3年の活動は、不特定多数向けのライブにたえるよう技量を如何に引き上げるか、これに尽きます。結論から言えば、これまでやってきたスタイルでしかやりようがなかったのですが。とりあえず譜面を見ながら、それでも平然とミスするわけですが、とにかく演奏してゆくのが精一杯の時期でしたね。

本史第2話へつづく

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2006年8月 1日 (火)

また逢う日まで レンダース前史 最終話 (全3話)

高度成長期の仇花。横浜にハリウッドがあったように、当時は大規模キヤバレ-が各地にあり、大船にも「白蘭(ビャクラン)」というグランドキャバレーがありました。白蘭には、クウイポのメンバーが週に数回出演するのですが、出演はバンド単位でなく、足りない楽器のプレイヤ-が頼まれます。日曜は藤沢のステージが終わると、その足で大船、ハシゴです。


白蘭には、数年後にレコード大賞に輝く、若き日のO氏がよく遊びにきていました。もみあげ自慢で熱唱型のO氏と、佐藤、田中、三橋とで肩を並べてステージに立ち、楽屋でバカ話。O氏は音楽でもよくアドバイスをしてくれました。英語は本格的な発音の英語で。そう、舌を巻くってやつですね。


うまくオチたところで、前史はおしまい、次回からはレンダース本史がはじまります。

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2006年7月31日 (月)

クウイポ誕生 レンダース前史 第2話 (全3話)

クラシックギターの先生について、スチールギターを習っていた三橋。アダチレコード店での衝撃からバンドを組もうと決意し、同じ職場の佐藤に相談、田中、そして数名が意気投合し、「アロハKuuipoes (クウイポ:南の恋人)」というバンドが誕生しました。長谷川楽器に相談し、先生をつけていただきました。当時の長谷川楽器、練習場は今の店舗の場所ではなく、南口交番から辻堂方向に10mぐらい行ったところ。店主さん御夫妻によく面倒を見ていただき、なんとかイベントに出られるくらいのレベルになりました。


藤沢駅南口から直結、有隣堂も入っているシンボル的存在のビル、ダイヤモンドビル。当時、その最上階には「スカイレストラン」があり、日曜の午後はレギュラーで、一年以上出演しました。


スカイレストランの夜の部には、マウイ(岩本昇とマウイコールズ)も出演しており、マウイはこんなフレーズとか音使ってたぞ、なんて、強烈に意識してたりして。


仕事の関係で岩本がステージに「穴」をあけそうになると、三橋に「トラ」の要請でマウイのメンバーがやって来ます。トラというのは張り子の虎のこと。楽器を持って立っていれば良いはずが、スチ-ル弾きはそうもいかず、曲名を聞き、キ-を決め、メロディ、バッキングと、全部アリなわけです。



第3話につづく

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2006年7月30日 (日)

マウイの衝撃 レンダース前史 第1話 (全3話)

レンダースが誕生したのは、今から10年ちょっと前。冬のエメロードでの、岩本と三橋の運命的邂逅から歴史が始まります。


このレンダースの10年史の前に、各メンバーがそれぞれ活動していた時期、前史があります。思いっきしカッチョイー喩えでいうならば、ビートルズの10年史の前に、リヴァプールでのザ・クオリーメンからシルバー・ビートルズという時代があったようなもんで、、、ってそりゃいくらなんでも美化しすぎ。


さて、茅ヶ崎駅南口の雄三通り、スーパー「たまや」の前には、篠というラーメン店がありました。そう、過去形です。残念ながら「篠」はごく最近、その長い長い歴史に幕を閉じたのです。そこでは今、和風豚骨ラーメンの新店の内外装工事が進んでいます。このラーメン店「篠」から駅の方向に数件先の2階には、、、そして記憶は数十年をさかのぼります。


時は昭和40年頃。「篠」から駅の方角に数件先の2階、そこには「アダチレコード店」がありました。「岩本昇とマウイコールズ」というバンドが練習してるから見てみないかと誘われ、訪れた三橋は、「南国の夜」を弾くスチールギターのタッチに衝撃を受けます。



第2話につづく

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